正気と言える発想の一つは、
陸がどこにあって、陸までどうすれば行けるか知っている存在に、
陸へどうすれば行けるか、コツを日々溺れつつも何とか教えてもらう事だ。
あるいはその存在に先導してもらって、あるいは引き上げられて、
行くのもありだろう。
しかしながらスピリチュアルの世界の詐欺師や、
まだ実力の足らないヒーラーなどの「悪魔」についていけば・・・・・・
より苦しく溺れて最悪何十年も無駄にするだろうことも気をつけねばならないだろう…
真剣にその存在を選び見抜くことがとても大事だ。

たとえ話。
海であなたがおぼれて、もう苦しくて苦しくて仕方がない!
苦しみ無き恐怖無き陸はどこだ?漂流物(仕事や恋愛やなど)でさえいい!安寧が…ほっと一息つけるひと休みが欲しい!としよう。
その時、溺れている人間(わたしはそうだ!)に溺れているあなたはしがみつくか?
真に助けてもらおうと考えるか?
それが正気の沙汰だろうか?
わたしがあなたを救えないことについての説明だ。

わたしはあなたを救えないのだから、
あなたは必死で365日のうちの1日ぐらい、
たったひとり、部屋を暗くして己とは何か?
認識の前にあるものは何か、実態はあるのか、考えてみたらどうだ。普段から考えているのなら神とキリストと聖霊に感謝し、静かに、心深く、祝えばいい。

pppに罰をぉぉぉーーーーをぉおおおーーーーーぉぉーーーーーーー!!!!!!!!!!

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